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 ○佐倉城址公園  マップページに戻る イサイズじゃらん城址公園

現在は佐倉城址公園となって、公園の北西部に本丸跡は位置していた。

 

佐倉城址は現在国立歴史民俗博物館が有る小高い丘にあり、下には鹿島川、高崎川が流れる。城の場所としては典型的な敵から防備する最適な位置に築城されていた。
この佐倉城は江戸東方の拠点として関東でも有数な又壮大な城郭であった。
家康が関東に入り最初に五男の武田信吉を配してその後多くの中心人物が入封し、最後に堀田家(正睦)で明治を迎えることとなる。
その堀田正睦が蘭学を奨励し順天堂を開かせたりしたことは有名で現在、堀田家の建物、資料及び順天堂の記念館があり是非一度、ゆっくり散策を兼ね昔を思うのもよいのではなかろうか。

 

=経緯=

1

.戦国時代、千葉氏が亥鼻城を捨てて「本佐倉城」(現酒々井町)築いた。

2

鹿島幹胤が鹿島台「鹿島城」未完成のまま引き継いだが、秀吉の小田原攻めで北条と共に千葉氏も滅亡し、本佐倉城と共にこの城も焼かれた。

3

その後関ケ原に勝利し江戸に入った家康が、佐倉領を重視し五男の武田信吉を配す。

4

その後、六男松平忠輝、小笠原家を配す。

5

慶長15年に老中土井利勝をここに封じて、鹿島山の廃城跡に本格的な築城を命じ、6年余をかけて元和三年に完成した。3つ目の「佐倉城」になる。

6

その後石川家、松平家、堀田家、松平家、大久保家、戸田家、稲葉家、松平家と老中が相次いで入城しする。

7

最後に山形の老中堀田正克が10万石で入城し、老中首座を務め1万石加増され11万石となりその後堀田家が定着し明治維新まで続いた。

 

椎木門の写真
一の門跡
馬出し空堀

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